クニマスと田沢湖のこと 東幹夫 会報第44号(30.1.20)
子どものころ、小学校高学年だったのか、それとも中学生になっていたのか、記憶が定かでないが、十和田湖のヒメマス卵放流を成功させた和井内貞行の映画を学校から町の劇 場(映画館を兼ねていた)へ揃って観に行ったことがある。主人公の貞行役は、ニヒルな 風貌と特徴的な台詞回しの大河内伝次郎だったと後で教えてもらった。琵琶湖のコアユ (陸封型アユ)を研究テーマにした院生の頃にも時々思い出す懐かしい映画だった。
雫石へ移り住んでから12 年目を数えるが、その十和田湖や、日本一深い湖として知ら れ、ヒメマスに近いクニマスが棲んでいた田沢湖が家から車で 1 時間もかからない近距離 にあることを知ってうれしくなり、独り車で田沢湖 20 ㎞の湖岸を一周したことがある。 湖水の色の吸い込まれるような青さに魅了された。
この 6 月 30 日、風邪薬を飲んで休んでいたところ、友人で魚類分類学者の中坊徹次氏が京都から新幹線に乗って雫石に下車し、家まで訪ねてくれた。7 月 1 日に田沢湖畔にオ ープンする「田沢湖クニマス未来館」での記念講演のためである。
風邪のため彼の講演は聴けなかったが、「クニマス ―過去は未来への扉― 」(秋田県仙北市編 中坊徹次・三 浦久監修)と中坊著の小冊子「奇跡の魚クニマスについて」(富士河口湖町発行、および同 著英語版)を献本してもらった。早速読み、山梨県西湖でのクニマスの発見と「クニマス 里帰りプロジェクト」や田沢湖再生への展望について新しい知見を得ることができた。
以下、そのポイントを要約しよう。 京都大学農学研究科の水産学研究室にいた中坊教授(現在名誉教授)がクニマスに興味 を抱いたのは、2003 年秋「田沢湖まぼろしの魚クニマス百科」の著者で、私も何度か研究 会などでお会いしたことのある、秋田県水産振興センター海洋資源部長の杉山秀樹さんが 京大に保管されている田沢湖産クニマス標本を見るため管理責任者の中坊氏を訪ねたとき、 「クニマス百科」を彼に献本し、それを読んだ中坊氏が田沢湖の深い湖底でのクニマスの 産卵に強く引き付けられたからである。さらに 2010 年 3 月、富士五湖の一つである山梨 県西湖で獲れた黒いマス 2 個体が中坊氏に届けられ、彼の分析の結果それらがヒメマスで はなくクニマスであることが明らかにされたのである。
日本では、いや世界を広く見渡しても、田沢湖にしか生息していなかったクニマスが絶滅したのはいつ、そしてどうしてか? 1931(昭和 6)年玉川の水を田沢湖に導入して発電する計画は 漁民全員の同意を得ることができなかったが、そのころ東北地 方では冷害による凶作が続いており、食糧増産のための農業用 水確保と電力が必要とされていた。そのため田沢湖を貯水池と する発電所の建設と、玉川の酸性水と先達川を田沢湖に導水して酸性を薄めて仙北平野に引き込み、2,500 町歩を開墾して食 糧を増産する計画が国策として進められた。
漁業補償交渉が 1938(昭和 13)年 8 月にまとまり、1940 年 1 月 19 日発電開 始、翌 20 日玉川酸性水が田沢湖に導水された。玉川酸性水は、 玉川上流の玉川温泉の大噴(おおぶけ)と呼ばれる源泉から pH1.2、98Cの温泉水が毎分 8.4 トン湧出し、魚の棲めない毒水と呼ばれた。導水後、田 沢湖の水位は大きく変動するようになり、水位低下によって湖岸が至る所で崩落した。水前pH6.3~6.7 であった湖水は導水後の 1942 年 4 月にはpH5.1~6.7 になり、1948 年 8 月の調査報告で東北大学の佐藤隆平氏は、「湖水はpH4.5~5.3 まで低下し、水深 120m に設置した底刺網ではクニマスは捕れず、クニマスは著しく減少したかあるいは絶滅に近 い状態にあるものと推察される」と報告している。
いっぽうクニマスの人工増殖試験は 1907(明治 40)年から始まり、1927(昭和 2)年 には人工採卵や孵化放流が田沢湖で行われ、1930(昭和 5)年には他県(長野県野尻湖、 山梨県西湖・本栖湖、富山県(湖名不明)、滋賀県琵琶湖)への 数 10 万粒の分譲が継続され、クニマス探しが続けられた。ヒメ マス研究者の徳井利信氏は疋田豊彦氏との共著「本栖湖のハナマ ガリセッパリマスについて」を北海道さけ・ますふ化場研究報告 に書き(1964 年)、これら 2 尾のマスの本栖湖に移植されたクニ マスとの関係を考察した。田沢湖観光協会の佐藤清雄会長(当時) はクニマスを探すキャンペーンを 1995 年から始めたが、届けら れたマスはクニマスとは判定されず、1998 年キャンペーンを終了 した。
2010 年 3 月西湖産の黒いマス 2 尾が中坊氏に届けられ(前述)、さらに同年同湖のワカ サギ漁の最終日に捕られた黒いマス 7 尾が中坊氏に届けられた。彼は 9 尾のマスの鰓耙数 と幽門垂数の組み合わせからクニマスと同定し、遺伝子分析からも裏付けられた。西湖には田沢湖に似た水温 4Cの湧水が深所に湧出する産卵場としての条件が存在することが明 らかにされている。
2010 年 12 月西湖でのクニマス発見後、秋田県では「クニマス里帰りプロジェクト」を 立ち上げ、2013 年 3 月には田沢湖畔でクニマス稚魚の水槽展示が行われた。2017 年 7 月 14 日、第 22 回北浦史談会と滴石史談会の交歓会が仙北市で開催されて筆者も参加し、「田 沢湖クニマス未来館」の水槽で元気に泳ぐ 5 尾のクニマスの姿と行動を観察することがで きた。これらのクニマスは西湖から届けられたクニマスで、田沢湖にはまだクニマスはい ない。
玉川酸性水対策として秋田県は 1972(昭和 47)年 から野外に積んでおいた石灰石に酸性水を散布し中和 させて渋黒川へ放流する方法をとったが充分な効果は 得られていない。一方国交省は中和処理施設を建設し 1989 年 10 月試 運転、1991 年から粒状石灰中和方式による本格的運転 を開始した。これによって以前は渋黒川へ直接流して いた玉川温泉水を中和処理し、大噴でpH1.1~1.3 の 酸性水をpH3.5 以上にして放流している。1970 年ころ にpH4.2 を示した田沢湖湖心は一時期pH5.8 まで改善 されたが、現在は玉川温泉水の水質変化等でpH5.2 程 度。農業用水を取水している玉川頭首工では基準のpH6.0 をクリアし、米の増産、土壌酸 性化の緩和、河川構造物の酸害の減少などの効果を上げているが、玉川導水前の状態に回 復するには程遠い水質環境である。電気分解による水質中性化実験が 2011 年から秋田県立 大曲農業高校生物工学部で始まり、500mlを中和するのに 3 時間かかっていたのが 2016 年には 1,000mlを 3 分間で中和できるようになったと報告されている。
富士五湖の西湖に奇跡的に生き延びていたクニマスを田沢湖に迎え戻す営みにはまだ多 くの解決すべき課題が残されているが、英知を結集し乗り越えていきたいものである。