曹洞宗・廣養寺 解説


 曹洞宗・廣養寺


・織田信長の天下統一の頃(15731591)、盛岡の報恩寺 五世鳳庵存竜和尚が勧請開山し、当山二世広鷟和尚により浄居山廣養寺が開かれた。酒造業高嶋屋及び同米沢半兵衛家の信仰篤く、3200余坪の境内地に堂宇、諸設備が整備され、当町随一の荘厳さを誇る。両者が寄進した大梵鐘(1734鋳造)は、雫石八景の一つ「廣養寺の晩鐘」である。この梵鐘は先の大戦時に供出され、今はない。

・本堂内の襖絵、障子等は文化財に匹敵する。啄木と親交のあった洋画家上野広一(当寺檀家)の描いた当寺先々代平井大全和尚の肖像画が掲額されている。

・明治7(1874)年雫石小学校の前身である「雫石学校」がこの廣養寺本堂を借りて開校した。(明治15年まで)