雫石城址 解説

雫石城址(現雫石八幡宮)
 

・雫石町下町東にある雫石八幡宮の一帯は、中世からの舘跡とされる。河岸段丘上にあり自然の要害となっている。

・南北朝時代の興国元(1340)年にこの城が築城されたことが古文書(清顕状)に出てくる。この文書によって「滴石」の地名と「滴石氏」の名前が歴史上初めて登場する。鎮守府将軍北畠顕信卿が13461351年までの5年間この城を本拠地に北朝方の足利尊氏らと対峙したとされる。
この城の主は戸沢氏、滴石氏(いずれも推定)らの後、南部氏~雫石氏(340年間)~南部氏と変遷した。

・この間にさまざまな伝説が生まれている。(別記)

・天正201592)年に豊臣秀吉の政策により破却された。現在も空堀が数カ所残っている。八幡宮はこの後、滴石氏の遺臣らによって氏神様として祭られたと伝える。