(茨城県高萩市制作戸澤政盛公坐像)
戸沢氏は、通説としては中世に陸奥国磐手郡滴石庄(荘)の戸沢邑(とざわむら)から起こり初代は衡盛(ひらもり)。二代目兼盛の時に出羽国山本郡宝仙岱に移り、さらに戸沢城、鳥谷崎城と桧木内川沿いに下り、安貞2(1228)年には門屋城を築いて城主となったとされる。<鎌倉時代・戸沢の草創期、別名“戸沢の神代史”ともいう。>
その後、角館に進出していた時代に小田原攻めで豊臣秀吉の目にとまり常陸国小河城(4万石)を与えられる。さらに関ヶ原の戦いの後の徳川時代には同国の松岡城へ移る。そして元和8(1622)年、出羽国最上郡を与えられ真室城へ。さらに新庄藩6万8千石(譜代大名並み)に封ぜられて明治維新まで続いた。明治時代には子爵となり初代新庄市長を務めた。滴石から出て650年、その隆盛は目ざましいものであった。