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戸沢(滴石)氏の系譜で現存するものは 4 つ    会報第17号(平成23年1月)所載


先の北浦史談会との交流会の意見発表の時間に、会場から「わが祖とされる『戸沢(滴石)氏』の系譜は複数あるといわれるが、何種類あるのか?」というご質問がありました。その際に「後日会報か何かでお知らせします。」と回答しておりましたので、この紙面を借りてお答えいたします。戸沢(滴石)氏の系譜で現存するものは 4 つあります。すでにご存じの方もおありかと思いますが、「雫石町史」にその記載がありますのでそのままご紹介します。

一、藩翰( かん) 譜系図
 「藩翰譜」は。元禄十四年(一七〇一)新井白石が編纂したものである。戸沢系図については寛永十八年の書上系図を基本とし、 延宝(一六七三~一六八一)頃まで追加したものである。この系図では戸沢氏の滴石居住が応永三十年(一四二三)迄となっている。しかしその後の天文(一五三二~一五五四頃まで)、滴石に居住したと伝えている。(資料 略)→この系譜では、「戸沢の祖」は平兼盛( 飛騨守) となっており、二代は親盛とされている。

二、寛政重修( ちょうしゅう) 諸家系譜 
江戸幕府系の系譜。初代を平飛騨守衡盛として書き出し、始祖を鎮守府将軍貞盛に求め、大和国吉野に居住して尾輪平新と称した。後、陸奥国磐手郡滴石庄の戸沢に移り戸沢と称した。頼朝に仕えて戸沢・下田・隠明寺( 御明神)、田口、長山、綱木( 繋) 等を領じて戸沢郷に住したと伝えられている。この系譜では、平衡盛( 飛騨守)を初代としているが二代は親盛、三代克盛と前者と同じだ。

三、新庄古老覚書 
戸沢( 注・現山形県)藩士田口良純( 寛保四年卒八七) による記述書である。これによると保元元年( 一一五六) 天皇方と上皇方が争った保元の乱に源氏、平氏の一族が両者分かれて戦った。平通正が上皇方についた。戦いが天皇方の勝利に終わり、通正は斬罪に処せられた。この時通正の妻が吉野尾輪に難を逃れ、そこで男子を産み平新と名付けた。これが尾輪の平新衡盛である。寿永三年( 一一八四) 奥州に下り、一族の樋山弾正良正の許に身を寄せた。良正は衡盛を戸沢に居住させ娘と結婚させた。良正に嗣子がなく、衡盛はその跡を受け、その地を領したと伝えている。系図では始祖は衡盛、二代が兼盛、三代が親盛とされている。

四、奥南落穂( おうなんらくすい) 集 
元禄時代に南部領で作られた史料。滴石氏が八戸南部らとともに北畠顕家・顕信に従って南朝方に加わったのは氏盛の時代であると記載している。その部分を引用すると“ 「光孝平兵部大輔兼盛、奥州岩手郡滴石荘を賜るとあり。その頃から住しや、又頼朝公、兼盛十一代孫飛騨守衡盛に滴石荘給るあり、(後略)”。」とある。

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